巨大淡水エイ。10年以上前から怪魚釣りを楽しんでいるアングラーの間で一時期流行ったワードだ。その呼び名の通り、アベレージ100kg、最大で200~300kgにまで成長する巨大エイが川に棲んでいる。
僕は、この巨大淡水エイを釣ることができなかった。
巨大エイと僕 ~長い前置き~
一度ヒットすれば、何時間もかけてファイトする。僕は2回の釣行で4度くらいヒットさせたはずだ。
13時間以上なんて信じられないかもしれないが、本当だ。砂や泥に潜ったエイは梃でも動かない。待つしかないのだ。
他にも、極太針が折れたり、ランディング寸前でフックオフしたり、流木に化けたり……様々な結末があって、その全てが僕にとって笑って済まされないバッドエンドな物語となった。
採集禁止となったプラー・クラベーン
なるほど、『それほど簡単に釣れるようになったのなら、後回しにしても良いや』。これが大失敗。気が付けば、巨大淡水エイはDOF(タイ国水産局)が目を光らせる、保護対象生物となり漁獲禁止となってしまった。
自分で捕まえたプラー・クラベーンに発信器をつける
当時、タイでメコンオオナマズの研究に携わっていた僕は、大学のゼミ発表の場で巨大淡水エイの生態を明らかにする必要性とその計画を熱心に発表していた。
そんな熱意が伝わり、DOF(タイ国水産局)の全面バックアップのもと、特別な許可を得てプラー・クラベーンの生態調査に参加することになったのだ。
その時の話しが、ゲンツと生き物を採集しまくったメークロン川編だ。
巨大エイの引きが忘れられなかった
小さいとはいえ、プラー・クラベーンを自分で捕まえることができ、微力ながらも調査の力になれて80%満足していた。
残る20%とは。想像もできないような重さの巨大エイに負けっぱなしで終わっている感覚が何とも不快だった。何とも?いや、かなり不快だった。
日本の巨大海水エイでリベンジマッチ
日本の岸から釣ることができ、100kgを超えるエイといえば、一般的に『マダラエイ』と『ホシエイ』の2種類。今回は、模様がとっても美しいマダラエイにターゲットを定めて八丈島で2泊3日の釣行計画を立てた。
因みに、マダラエイは伊豆諸島から沖縄県にかけての岩礁帯に生息し、体盤幅200cm前後、体重150kg前後まで成長する大型のエイだ。
八丈島の住民から得たシンプルな情報
それならばと、ランディングしやすいスロープの脇に釣り座を構え、家から持ち込んだ大量のニシンとカマスをコマセとしてばら撒き、強靭な釣り竿と太い釣り糸で作った仕掛けに餌を付けブッコミ釣りを開始した。
1時間ほどで餌が骨になってくる状況が続き、1晩目は何事も起こらずあっという間に朝になってしまった。
日中は休息と餌の確保
サビキやフカセでバケツたっぷりの小魚たちは釣れたのだが、ムロアジはゼロ。マダラエイ釣りの餌は何でも良いと知っているものの、今晩が最終日なので精神的に不安だ。
結局、スーパーでアジを購入して、昨晩何も起こらなかった釣り座でマダラエイ釣りを再開した。
『エイなんてどこにでもおるぞ!』この言葉を信じてとにかくファイトしやすい場所で粘る作戦だ。
予兆なく、ビッグファイトが始まった
圧倒的に自分の体重が負けていると感じる重量感と地を這うような滑らかな引き方。疑いようもなく巨大エイの引きそのものだ。
放っておくと、港の外まで泳ぎ出てしまいそうな勢いなので、地面に座り、竿尻にしっかり体重をかけ、膝にフォアグリップを当てて……。ドラグを締めこみ20kgの負荷を一気にかけてみた。
すると、つんのめるかのように嫌がった巨大エイは、僕を中心に弧を描くように右へ旋回を始めた。
巨大エイ釣りはエイが離底して泳いでいる時こそリールを巻くビッグチャンス。
プラー・クラベーン釣りで学んだことを活かして本気でリールを巻く。身体の中心にプラー・クラベーンの悔しさを込めてどんどん巻く。エイに引き込まれて身体が浮きそうになってもとにかく巻く。
やっぱり張り付いた
こうなると長期戦になるぞと覚悟したが、カジキ竿でピクリとも動かせなかったプラー・クラベーンよりもマダラエイの方が幾らか軽そうで、ジワジワと引き寄せることができた。
10分かけて5m引っ張ったかと思うと、30秒で7m動かれる。そんな地味そうに見えるやり取りを1時間以上続けていると何とかスロープまで寄せてくることができた。
巨大海水エイを釣り上げた!
ロープで括ってしまえば一安心。僕もエイもお互いに10分程の休憩を取り合った。冷静になったところで、ライトを当てて観察してみると、マダラ模様が実に美しい。
現場で見ると、青っぽさを感じる色合いが神秘的でもあった。
大きな目標を掲げ、それが達成された時。また1つ目標失ってしまった。そう僕はいつも感じてしまうのだ。
今回に限っては、巨大淡水エイことプラー・クラベーンの20%分も上乗せされ、いつもより少しだけ大きな喪失感であった。