大雨後の田んぼで繰り広げられるコイとフナの大産卵
コイとフナの知名度と存在感
コイという魚を知らない日本人は恐らくいないだろう。そのくらい我々日本国民にとってコイは最も身近な川魚と言っても過言ではない。
公園の池やお城のお堀、近所の川にだって人に慣れて寄ってくるコイを目撃する機会はとても多い。
それではフナはどうだろうか。フナって名前は知っているケド…あんまり見たことはありません!そんな魚だと思う。
それもそのはず、水鳥に狙われることが多いフナは、魚体の大きなコイに比べて警戒心が高く、なかなか人目に付くような浅い場所にやってこないからだ。
今回はそんなコイやフナのちょっと珍しい繁殖行動を観察した時の記事を書いてみたいと思う。
コイとフナの繁殖期について
コイやフナは春になると浅瀬の葦(ヨシ)や水草に卵を産み付ける。浅瀬に身を乗り上げながら群れで入り込み水柱をあげながら産卵する姿を釣り人は『ハタキ』と呼ぶ。
余談になるが、ギンブナというフナの仲間は全てメスであり、他の魚の精子を使って子孫を残すことが知られている。他種の繁殖機会を奪って自分たちの種を繁栄させるギンブナの強かな戦略から生き物の神秘を感じる。
氾濫原は魚の産卵場だった
コイやフナはとても生命力が強く、コンクリートに囲まれた都市型河川でも悠々と暮らしているように見える。水草や葦なんてなくても、捨てられた自転車やビニールシートに当たり前のように卵を産み付けるコイの姿を見て、生き物として逞しいと言えばそれまでだが、ふと、コイやフナは本来どんな暮らしをしていたのか気になった。
そこで、コイやフナの繁殖行動について調べてみると、かつては川の氾濫原で産卵していたという。ヒトは文明を持つようになると氾濫原で稲作を始め、人が棲む場所を守るために川を土手で固めて洪水、すなわち川が氾濫するのを防ぐようになった。それでも、コイやフナは適応力が高く、今でも大繁栄できているのだから凄い。無論、残念ながら川の環境変化に適応できずに数を減らした生き物たちがいることを忘れてはいけない。
今の時代でも洪水を利用して産卵する魚がいる
世界のジャングルを旅すると、今の時代にも広大な氾濫原を利用して繁殖や移動を行う魚たちの姿を見ることができる。こと日本では、そんなダイナミックな生き物の営みをもう見ることができないかと思えば、そうでもない。今もなお、春の大雨で氾濫する水田を利用して大産卵する魚を観察できる場所があるのだ。
大雨洪水警報が発令された翌日
大雨洪水警報が発令され、洪水の被害が出ないようにと祈りながらも、これだけの降水量があれば目星を付けていた田んぼは水没しているはずと心が躍る。嵐が過ぎてから家を出て目的地に向かった。
コイの産卵を見る為に車を何時間も走らせるなんて正気かって思われるかもしれないが、自分の好奇心に共感を求めても仕方ない。お目当ての田んぼに付くころにはきっとコイやフナが沢山集まっているはずだ。
田んぼの中で繰り広げられる大産卵
目的の地域の川は増水し茶色く濁り、いたるところで田んぼが水没している。はやる心を落ち着かせながら田んぼに向かうと予想通り!あちらこちらで大きな水柱が上がっているではないか。
水路を覗き込むと沢山のフナやコイが群れている。すぐそばを流れる川からどんどん遡上してきているようだ。中にはジャンプして畔を超えようとしているものいる。この川にこんなにもフナやコイがいたとは信じられないくらい魚達が集まり、次々と畔をこえて田んぼに入っていく。
田んぼの水位がみるみる内に減少していく
のんびりと魚たちの産卵を魚達の産卵を眺めていると、どんどん水位が減っていることに気づいた。考えてみれば当たり前だ。人間にとってはいつまでも田んぼを水浸しにしておくわけにはいかない。
田んぼの水位が減少していることに気づいた魚たちは次々に田んぼから水路へ戻っていく。水位が下がり、畔が姿を現すころには一気に魚の姿は減ったのだが、いくつかの群れは未だに産卵を続けている。
結局、戻れなくなってしまった魚達
数時間後にはすっかりいつも通りの田んぼの風景に戻ってしまった。お察しの通り、田んぼには取り残されたコイやフナ達が行き場を失っている。
生き物たちを追い込むのがヒトの活動がある一方で、生き物たちに手を差し伸べるヒトの思いやりがあるのもまた事実。
田んぼを管理する方々が網をもって1匹1匹コイやフナを掬っては水路へ戻していく。聞けば、この時期に大雨が降ると毎度魚達が入ってきてしまうのだとか。
こうやってヒトと生き物は上手く関係を築いていくのだなと感じた一日だった。